「勿体無い」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。
昔よく「勿体無い!」と言っていたが、経済を回すために消費優先が尊ばれるようになると、この言葉は殆ど使わなくなった。
「勿体」は「重々しさ」や「威厳さ」などの意味を持ち、それが「もったいない」の原型となり、「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられた。
これが転じて、「自分には不相応である」、「ありがたい」「粗末に扱われて惜しい」など、「もったいない」の持つ意味は広がっていった。
また、「もったい」は仏教用語の「物体(もったい)」からきているとも言われ、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表しているとも言われる。
つまり物を不相応に粗末に扱うことを「勿体無い」と言うのである。 6月2日に妻と『西尾市岩瀬文庫企画展 昔むかしのSDGs』(5月18日~8月18日まで開催 入場無料)を見に行き、13時30分からの展示解説を聞いてきた。(7月27日も同じ時間に行わられる。)
鈴木学芸員の話は面白かった。
江戸時代、人々は無駄をせず、物を大切に永く使って、勿体無いことはしなかったそうだ。
1日に消費出来る食物しか買わず、売る方も1日の稼ぎ分しか売らなかったとか。
食物ロスなんて無い。
ロウソクの流れ出たところや、竈等の灰、抜け毛までリサイクルした。
長屋の住人から出る糞尿も近郊の農家の肥料として売れたのである。
庶民の多くは古着を着て、古着屋が繁盛していた。
現代の2ndStreetような店が繁盛していたのである。
寺子屋で使われた教科書を『往来物』と呼ばれるが、中には100年以上使われた物もあるそうだから愕きである。
何故江戸の人々はつましく生きていたのであろうか。
それは資源の少ない事を知っていた当時の人々は、陶器が欠けたり割れれたりしたら、新品を買うより安い代金でそれを直す者が現れる。
鍋窯も同じである。
生活用品をリユースする商売が発生するのである。
江戸の町は綺麗な街であった。
当時のパリは芸術の都とより、ウンコの町でった。
パリの人々はウンコを踏んでの良いようにハイヒールを履いていたとか。
また子供たちは寺子屋で読み書きそろばんを習っていたため、当時の識字率は90%を超えていたのではないだろうか。
だから多くの古書も残っているのだろう。
親父も江戸の人々を見習い勿体無くない生活を努めようと思う。
物を永く使おう。
そうすればゴミも少なくなるはずである。
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