親父が住む愛知県西三河地方では、3月3日の桃の節句に、いが饅頭を食べる。
いが饅頭は、うるち米やもち米で作った生地に餡子を包み、表面に3色に染色した米粒を乗せて蒸し上げる餅だ。
親父が調べたところによると、いが饅頭は、平安時代から伝わる「嘉祥菓子」(かじょうがし)にあると言われている。
嘉祥菓子は、厄除けと招福を祈願する儀式に用いられた祭事用の菓子で、儀式ではさまざまな種類の菓子が神前に供えられ、その中に伊賀餅(いがもち)も含まれていたそうだ。
だから、いが饅頭の発祥地に関しては、三重県の「伊賀」説が有力である。
これは地名の伊賀(いが)との関連性や、愛知県三河地域の「いがまんじゅう」(いが餅の一種)の由来が伊賀にあったとする伝承を根拠としている。
いずれにしても、いが饅頭の出発点は、神様への祈願とお供えを目的とする祭事用の菓子であったのだ。
それを織田信長が本能寺の変で明智光秀に倒された事件から逃れた徳川家康が、伊賀越えの際にこの菓子を知り、西三河に持ち込んだのかも知れない。
いが饅頭の表面に乗っている米粒の色は、赤・緑・黄の3色である。
この3色の色合いこそが、いが饅頭が西三河地域で雛菓子として定着した一番の理由ではないかと考えられている。
「赤は魔除け、緑は生命力、黄は豊作祈願」と言う願いが込められているのだ。
12月8日に(株)グットツーリスト名古屋支社が開催した三重県亀山市の関宿で松坂牛を食べるバス旅行に妻と参加したが、昼食前に関宿の街道を散策した。
事前に女性添乗員から「此処にはいが饅頭にような饅頭がある。」と言われたので、その店を探した。
それは『志ら玉』言う饅頭であった。
いが饅頭とは違い表面に乗っている米粒は3粒だけである。
しかしその3粒は赤・緑・黄の3色に染色されている。
同じ様に3つの願いが込められているのかも知れない。
味も何度も味わったいが饅頭と同様である。
柔らかい餅の中に程よく甘い漉し餡が入っている。
ただいが饅頭は桃の節句のみに味わう菓子であるが、『志ら玉』は通年味わえるのだ。
よく働くいが饅頭の従兄を見つけてしまった.
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親父が調べたところによると、いが饅頭は、平安時代から伝わる「嘉祥菓子」(かじょうがし)にあると言われている。
嘉祥菓子は、厄除けと招福を祈願する儀式に用いられた祭事用の菓子で、儀式ではさまざまな種類の菓子が神前に供えられ、その中に伊賀餅(いがもち)も含まれていたそうだ。
だから、いが饅頭の発祥地に関しては、三重県の「伊賀」説が有力である。
これは地名の伊賀(いが)との関連性や、愛知県三河地域の「いがまんじゅう」(いが餅の一種)の由来が伊賀にあったとする伝承を根拠としている。
いずれにしても、いが饅頭の出発点は、神様への祈願とお供えを目的とする祭事用の菓子であったのだ。
いが饅頭の表面に乗っている米粒の色は、赤・緑・黄の3色である。
この3色の色合いこそが、いが饅頭が西三河地域で雛菓子として定着した一番の理由ではないかと考えられている。
「赤は魔除け、緑は生命力、黄は豊作祈願」と言う願いが込められているのだ。
12月8日に(株)グットツーリスト名古屋支社が開催した三重県亀山市の関宿で松坂牛を食べるバス旅行に妻と参加したが、昼食前に関宿の街道を散策した。
事前に女性添乗員から「此処にはいが饅頭にような饅頭がある。」と言われたので、その店を探した。
それは『志ら玉』言う饅頭であった。
いが饅頭とは違い表面に乗っている米粒は3粒だけである。
しかしその3粒は赤・緑・黄の3色に染色されている。
同じ様に3つの願いが込められているのかも知れない。
味も何度も味わったいが饅頭と同様である。
柔らかい餅の中に程よく甘い漉し餡が入っている。
ただいが饅頭は桃の節句のみに味わう菓子であるが、『志ら玉』は通年味わえるのだ。
よく働くいが饅頭の従兄を見つけてしまった.
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