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Screenshot_20241210-105121 今朝8時ぬ配信された毎日新聞とうきょう支局のX記事により、1968年12月10日に東京市府中市で3億円事件が起きた事を知った。
 当時は小学2年生だったが、連日テレビがこの事件の発生模様を報じていたことを思い出す。

 

 この3億円事件は、1968年昭和43年12月10日朝、東京都府中市で、ある企業の従業員のボーナス用のの現金を積み込んだ金融機関の現金輸送車に積まれた約3億円の現金が白バイ警察官に扮した男に奪われた窃盗事件である。

 正式な事件名は「現金輸送車強奪事件」である。
Screenshot_20241210-084939 通称では「3億円強奪事件」と呼ばれた。
 犯人検挙に至らなかったことから、1975年12月10日に刑事訴訟法250条における公訴時効が成立し、未解決事件となった。
 また1988年12月10日には、除斥期間の経過により損害賠償請求権も消滅した。

 日本犯罪史において最も有名な事件に数えられ、「劇場型犯罪」でありながら完全犯罪を成し遂げ、フィクションノンフィクションを問わず多くの作品で取り上げられていた。


 刑事訴訟法上の時効を迎えた
1975年12月10日親父は中学3年生になっていた。

 その後色々なノンフィクションを読んだ。
 この事件の初動捜査が誤っていたらしい。

 今は鑑識班がまず証拠集めをした後に刑事が事件現場ぶ入るが、当時はまず刑事が優先的に現場に入り、彼らが踏み荒らし、触り荒らした後に鑑識班が入り証拠集めを務めたらしいが殆ど壊滅状態だったらしい。

 どうも警察はある少年に目を付けていたらしいが、有名なモンタージュ写真を作成する際、被害者の薄い記憶を誘導して、その少年の顔に似たモンタージュ写真を作り出したらしい。
 あの写真がアダとなったらしい。
 写真だからその様な人物が存在すると言う印象を持った関係者に刑事が聞き込みを行っても皆「知らない。」と答えたらしい。

 それを参考に、今は被害者・目撃者などから細かく聞き取り似顔絵を鑑識班が描くらしいが…。

 警視庁が目を付けた少年の中にはバイク事故で死んでしまった者もいたらしい。
 警視庁が目を付けた少年たちには僅かな状況的な判断は考えるが逮捕にいは至らない。

 
 1988年12月10日には、除斥期間の経過により損害賠償請求権も消滅したが、27歳で男の子の父親になっていた親父は、「真犯人は既に死んでいるのではないか。 だから隠された3億円は闇に消えてしまった。」のではないかと考えた。

 懐かしい。
 当時の3億円は今の貨幣価値を参考に考えると今は30億円になるらしい。
 年末宝くじの1等・前後賞を3回当選しなければいけない額である。

 あの事件以後2回お札が変わってしまった。
 防犯カメラの設置が進んだ今は、あの様な完全犯罪は不可能であろう。
 添えておくとあの事件には死者どころか怪我人も出ていない。
 今の馬鹿闇バイトとは格が違う。





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