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 桑名名物『安永餅』を食べた事を記事にした「やっと食べられた。」にYUEさんからコメントを頂いた。
 そのコメントに「四日市にも永餅があると教えられて、調べたら『太白永餅』と言う店が有った。
 YUEさんは『安永餅』の方が好きだそうだが、親父はこの『太白永餅』を一度味わってみたいと興味が湧いた。

 この二つの永餅を親父なりに考察してみた。

 先ずは『太白永餅』であるが店のHPには

徳川幕府の宿駅制度から四百有余年。

東に海上桑名七里の渡し、西に鈴鹿の峠を眺めるここ四日市の宿場の茶屋では、焼き立ての細長い餅で旅人の疲れを癒したのが名物『太白永餅』の始まりでございます。

とある。
Tokaido43_Yokkaichi
 三重県四日市市にあった四日市宿は、東海道五十三次の43番目の宿場である
 幕府直轄の天領であり代官所が置かれていたそうだ。
 宮宿との間に「十里の渡し」があった
 宿内人別:7114人(男:3522人、女:3592人)、宿内総家数:1811軒(本陣:2、脇本陣:1、旅籠:98)であったとか。


 対して『安永餅』は、
当店は、昔、東海道五十三次随一の宿場として栄えた桑名宿、安永の地で安永屋として江戸初期に創業し、「やすながもち」はこの地の名物として、諸大名の参勤交代や、お伊勢参りの旅人などに広く親しまれ、以来ずっと桑名の代表的な銘菓として多くの人々に親しまれてきました。
とある。


375px-Tokaido42_Kuwana 桑名宿は、東海道五十三次の42番目の宿場であった。
 脇往還佐屋街道もここから分岐していた。徳川四天王本多家のほか、各松平家大名が藩主を務めた桑名藩城下町でもあった。

 江戸時代後期の調査では、本陣:2軒、脇本陣:4軒、旅籠屋:120軒を擁し、家数:2,544軒、人口:8,848人(男性:4,390人、女性:4,458人)であったと記録されている。東海道では旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇っていたそうだ。
 東海道で唯一の海上路である七里の渡しで結ばれ、伊勢国、および、伊勢参りの玄関口となっていた。


 この時代街道違うことから、『太白永餅』も、『安永餅』も、どちらがどちらの真似をした訳ではなく自然発生的に出来たのではないかと思うのだ。

 どちらも茶屋で旅人の腹満たしていたのではないだろうか。












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