
彼女の祖父は輪島塗職人で、2024年元日に起こった能登震災後に、祖父の輪島塗を売る露店を手伝う翼音さんの姿がテレビに映し出されると、災害の理不尽さに怒りを感じた。
孫娘の安否を想う祖父の姿がテレビに映し出される度に、親父は、彼は自分が孫娘をこうしてやれば助かったのではないか、もっとおのようにしてやれば良かったと贖罪の日々を過ごしているのだろうろ想った。
それが親父ならそのように悩むだろうから…。
12月14日、福岡県北九州市小倉南区のマクドナルドで、中学生2人が殺傷された事件が起きた。
この事件では、中学3年の中島咲彩(なかしま・さあや=15)さんが死亡した。
12月19日福岡県警は、一緒に居た男子生徒に対する殺人未遂容疑で無職
親父が咲彩さんの祖父であれば、孫娘を殺した
しかし、孫娘の死に贖罪をするだろう翼音さんの祖父よりは、贖罪の気持ちを持たない分楽ではないかと思った。
だが、孫娘を災害で失った場合、孫娘の死に贖罪を感じたとしても、やがてそれは「亡くなった孫娘に恥ずかしくない生き方をしよう。」と、その後の生き方の指針に変換することが出来る。
しかし犯罪で孫娘を失った場合、孫娘を思い出す度に犯人を恨まなくてはいけないのだ。
これは災害で家族を失った方、犯罪で家族を失った方の気持ちを代弁するものではない。
ただ親父が可愛い孫娘を失った場合の気持ちを想像したのである。
やはり祖父としては孫娘に自の臨終に立ち合って貰うのが幸せである。

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