昭和55年に親父は高校を卒業して、今の会社に入ったが、その頃は『ノーパン喫茶』などの『ノーパン〇〇』と言う風俗が盛況であった。ある官庁の役人が業者から『ノーパンしゃぶしゃぶ』で接待を受けたとニュースが有ったほどである。
その頃サングラスにちょび髭の山本晋也(やまもと しんや)という映画監督が、テレビ朝日系で深夜放送されていたお色気番組『トゥナイト』で、色々な風俗店を紹介していた。
面白かったので、親父はほぼ毎晩見ていた覚えがある。
昭和55年12月には、ノーパン喫茶のハシリ大阪の『あべのスキャンダル』が開店したらしい。
就職して数年後に大阪市の支社に出張した折に、夜この店に同僚と入った覚えがある。
確かコーヒーが1杯1,000円以上したのではないかと思う。
その頃の親父の手取り給料は100,000円くらいだったので、1,000円は高額であった。
その頃に純喫茶でのコーヒーは1杯250円だったので、4倍の値段だったのである。

確か、メニューは1品ずつオーダーするのが、鉄則であった。
オーダーした商品を運ぶノーパン嬢が親父たちのテーブルに運ぶ度に、ミニスカートの中をわざと見せてくれるのである。
見えてもお尻程度であるが、ほろ酔い気分で同僚と行ったので、二人で10,000円ほど浪費してしまった。
全く若気の至りである。
その後風営法が改正されて、『ノーパン〇〇』は壊滅してしまった。
中京スポーツ誌に掲載されていた岩谷テンホーの『みこすり半劇場』という四コマ漫画が、親父は好きである。
少しエッチで面白い。
コンビニで単行本が出ると必ず買っている。
その四コマ漫画に、ノーパン喫茶を扱ったものがある。
2・3歳と思しき孫娘が遊んでいて、なかなかパンツを履いてくれないのである。
すると母親である娘が「お婆ちゃんの時代、大人になっても、パンツが履きたくても、履けないころがあったのよ。」と諭す。
傍に居たお婆ちゃんは、「やぁだ…麻紀…」と呟くが、実は幼かった娘に「貧困でパンツが履けない。」と話していたが、「本当は、それノーパン喫茶で働いていただけの話なのよ…」と思い出すのである。
親父は、この四コマ漫画を見た時に、変に納得してしまった。
親父が63歳になる今、当時のノーパン嬢は還暦以上になっているのである。
『ノーパン喫茶』は、遠い昔昭和の話である。
セクハラが許されていたころの…。
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