本当は今日が『父の日』であるが、今日は、西尾市長選と西尾市議会選の投票日で、妻が413:00から21:00までパート勤務をするため、我が家の『父の日』は一日繰り上げて昨日祝って貰った。
予てより妻に申し立てた通りに、豊川稲荷門前町に有る『曽我の軒』で『うな重肝吸付き』を楽しんだ。
妻は『うなぎ丼肝吸付き』(ご飯少なめ)をオーダーした。
他にも『肝串』がオーダーしたかったが、うな肝の多くが出払っていて、オーダー出来なかったのだ。
親父はこの店のさっぱりした鰻の蒲焼が好きである。
養鰻業者の多い一色町を有する西尾市でも味わえない味である。
妻も同じらしく、彼女もうなぎ丼の鰻の蒲焼を美味そうに食べていた。
脊髄小脳変性症に罹患した親父と長男の為にアレコレ手を尽くしている妻が、この鰻の蒲焼で精を付けてくれればよいな親父は、思った。
鰻を食べながら話す事は親父と長男が罹患した脊髄小脳変性症のことである。
妻は親父に「辛ければ愚痴って良いよ。」と言ってくれた。
しかし、親父は愚痴るつもりはない。
何故かと言えば、親父が登録している脊髄小脳変性症の患者と家族のLineオープンチャットで、色々な立場の人とレスした結果、脊髄小脳変性症に罹患したことで得たものが有ると確信できたのだ。
また、長男に遺伝させて彼が高次脳機能障害も罹患していることが判ったが、高知能自閉症で睡眠障害を罹患している次男を加え、二人の息子を孫を産んでくれた娘以上に可愛がり、同舟して生きて行きたい。

『曽我の軒』で鰻を楽しんだ後、豊川稲荷を参拝した。
梅雨の雨に濡れた石畳を杖を突きながらゆっくり歩いた。
慎重に歩かないと、濡れた石畳に滑って足を取られたら、転倒して怪我をしてしまうかも知れない。
参拝はしたい。
ところで、脊髄小脳変性症に罹患したことで得たものであるが、それは常に生きることに真剣に慎重になれることである。
車椅子ではなく、杖はついても自分の足で歩いていたいと考える事が生きる弾みになっている。
もし、脊髄小脳変性症に罹患してなければ身体的には楽であるが、精神的には漫然と生きていた様に思う。
雨の日に傘を差しながら豊川稲荷を参拝しても、この時ほど達成感と満足感で感激はしなかったであろう。
運動失調によりヨタヨタと歩く親父に付き添ってくれる妻が愛おしい。
脊髄小脳変性症に罹患していない親父であれば、きっと彼女と距離を置き、自分のやりたいことに熱中していたであろう。
今は妻を熱愛している。
脊髄小脳変性症の親父と長男、そして高知能自閉症で睡眠障害を罹患している次男の世話と、94歳の義母を介護することで、妻の鬱積した気分を晴らすために週1度お茶会に参加して茶道に執心することが容易に行くよう協力して、不定期に友達Nさんとランチする事にも、家族の昼ご飯を親父が用意する事で協力している。
来年以降になるがNさんとヨーロッパ旅行に行くことを勧めている。
妻が7日ほど家を留守にした時は、親父と息子二人が家事一切を請け負う。
それまでは運動失調が進むのを抑え、自らの足で歩き続けなくてはいけないのだ。
親父がこんなに妻の事を想い、熱愛できるのは脊髄小脳変性症のお陰である。
豊川稲荷を出て大駐車場へ向かう途中にある『のんちゃんのたい焼き屋』で、体イッパイにお手製小豆餡を入れられたたい焼きを食べていて、よく炊けた小豆餡に、妻と二人で酔い唸った。
妻の笑う瞳に、思わず「愛しているよ。」と言いそうになり堪えた。
(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

にほんブログ村

にほんブログ村

妻は『うなぎ丼肝吸付き』(ご飯少なめ)をオーダーした。
他にも『肝串』がオーダーしたかったが、うな肝の多くが出払っていて、オーダー出来なかったのだ。
親父はこの店のさっぱりした鰻の蒲焼が好きである。
養鰻業者の多い一色町を有する西尾市でも味わえない味である。
妻も同じらしく、彼女もうなぎ丼の鰻の蒲焼を美味そうに食べていた。
脊髄小脳変性症に罹患した親父と長男の為にアレコレ手を尽くしている妻が、この鰻の蒲焼で精を付けてくれればよいな親父は、思った。
鰻を食べながら話す事は親父と長男が罹患した脊髄小脳変性症のことである。
妻は親父に「辛ければ愚痴って良いよ。」と言ってくれた。
しかし、親父は愚痴るつもりはない。
何故かと言えば、親父が登録している脊髄小脳変性症の患者と家族のLineオープンチャットで、色々な立場の人とレスした結果、脊髄小脳変性症に罹患したことで得たものが有ると確信できたのだ。
また、長男に遺伝させて彼が高次脳機能障害も罹患していることが判ったが、高知能自閉症で睡眠障害を罹患している次男を加え、二人の息子を孫を産んでくれた娘以上に可愛がり、同舟して生きて行きたい。

『曽我の軒』で鰻を楽しんだ後、豊川稲荷を参拝した。
梅雨の雨に濡れた石畳を杖を突きながらゆっくり歩いた。
慎重に歩かないと、濡れた石畳に滑って足を取られたら、転倒して怪我をしてしまうかも知れない。
参拝はしたい。
ところで、脊髄小脳変性症に罹患したことで得たものであるが、それは常に生きることに真剣に慎重になれることである。

もし、脊髄小脳変性症に罹患してなければ身体的には楽であるが、精神的には漫然と生きていた様に思う。
雨の日に傘を差しながら豊川稲荷を参拝しても、この時ほど達成感と満足感で感激はしなかったであろう。

脊髄小脳変性症に罹患していない親父であれば、きっと彼女と距離を置き、自分のやりたいことに熱中していたであろう。
今は妻を熱愛している。
脊髄小脳変性症の親父と長男、そして高知能自閉症で睡眠障害を罹患している次男の世話と、94歳の義母を介護することで、妻の鬱積した気分を晴らすために週1度お茶会に参加して茶道に執心することが容易に行くよう協力して、不定期に友達Nさんとランチする事にも、家族の昼ご飯を親父が用意する事で協力している。

妻が7日ほど家を留守にした時は、親父と息子二人が家事一切を請け負う。
それまでは運動失調が進むのを抑え、自らの足で歩き続けなくてはいけないのだ。
親父がこんなに妻の事を想い、熱愛できるのは脊髄小脳変性症のお陰である。
豊川稲荷を出て大駐車場へ向かう途中にある『のんちゃんのたい焼き屋』で、体イッパイにお手製小豆餡を入れられたたい焼きを食べていて、よく炊けた小豆餡に、妻と二人で酔い唸った。
妻の笑う瞳に、思わず「愛しているよ。」と言いそうになり堪えた。
(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

にほんブログ村
にほんブログ村
コメント