今日7月31日は、今年2回目の土用の丑の日である。
土用の丑と言うとうなぎであるが、うなぎと言うと親父は昭和天皇の逸話を想う。
親父は未だ生まれておらず、生まれる気配も無かった頃の話であるが、後年テレビの特番などで、この逸話を聞いた。
昭和天皇は、第二次世界大戦の終結後、1945年(昭和20年)11月12日、伊勢神宮及び山陵に戦争終熄の御奉告のため行幸された。
同年11月15日まで、三重県、奈良県、京都府にも行幸した。
昭和天皇は、後日、この行幸に際して国民との近接を図り得たとお感じになったため、国民と皇室との親しき結びつきについても効果を望む旨をお述べになったそうである。
そして、その後、昭和天皇自身の発案により、1946年(昭和21年)2月から1954年(昭和29年)8月まで、8年半をかけてアメリカ合衆国統治下であった沖縄を除く46都道府県を巡行した。
逸話は、この全国巡行の初期の頃である。
巡行先の都道府県で昭和天皇のご昼食を用意する必要があった。
ある新聞社が宮内庁に「天皇陛下は何がお好きで、何が嫌いか。」と問い合わせがあったとか、その対応をした者が「陛下は好き嫌いは無いが、どちらかと言えばうなぎがお好きであるようだ。」と返答したそうだ。
すると行く先々でのご昼食が全てうなぎになってしまったようである。
うな丼、うな重が続いたのだろうか。
見かねた随行の侍従長が「次の県ではうなぎ以外のお食事を用意するように言いましょうか。」と言うと、昭和天皇は「国民が食料不安のなか、私のために懸命に用意してくれる物に、意見してはいけない。 私はうなぎが続こうとも、一向にかまわん。」と侍従長をお叱りになったそうである。
続くうなぎを「美味しい。美味しい。」とお食べになられていたそうである。
昭和天皇は、現人神(あらひとがみ)として、国民の命を奪い、国民を不幸に陥れたことへの贖罪で全国巡行をされておられたのであろう。
親父は、うなぎを食べた折、昭和天皇を想ったのである。

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土用の丑と言うとうなぎであるが、うなぎと言うと親父は昭和天皇の逸話を想う。親父は未だ生まれておらず、生まれる気配も無かった頃の話であるが、後年テレビの特番などで、この逸話を聞いた。
昭和天皇は、第二次世界大戦の終結後、1945年(昭和20年)11月12日、伊勢神宮及び山陵に戦争終熄の御奉告のため行幸された。
同年11月15日まで、三重県、奈良県、京都府にも行幸した。
昭和天皇は、後日、この行幸に際して国民との近接を図り得たとお感じになったため、国民と皇室との親しき結びつきについても効果を望む旨をお述べになったそうである。
そして、その後、昭和天皇自身の発案により、1946年(昭和21年)2月から1954年(昭和29年)8月まで、8年半をかけてアメリカ合衆国統治下であった沖縄を除く46都道府県を巡行した。
逸話は、この全国巡行の初期の頃である。
巡行先の都道府県で昭和天皇のご昼食を用意する必要があった。
ある新聞社が宮内庁に「天皇陛下は何がお好きで、何が嫌いか。」と問い合わせがあったとか、その対応をした者が「陛下は好き嫌いは無いが、どちらかと言えばうなぎがお好きであるようだ。」と返答したそうだ。
すると行く先々でのご昼食が全てうなぎになってしまったようである。
うな丼、うな重が続いたのだろうか。
見かねた随行の侍従長が「次の県ではうなぎ以外のお食事を用意するように言いましょうか。」と言うと、昭和天皇は「国民が食料不安のなか、私のために懸命に用意してくれる物に、意見してはいけない。 私はうなぎが続こうとも、一向にかまわん。」と侍従長をお叱りになったそうである。
続くうなぎを「美味しい。美味しい。」とお食べになられていたそうである。
昭和天皇は、現人神(あらひとがみ)として、国民の命を奪い、国民を不幸に陥れたことへの贖罪で全国巡行をされておられたのであろう。
親父は、うなぎを食べた折、昭和天皇を想ったのである。
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