親父の実家は海から3㎞ほどのところにある。
農業用水の流れは海に続いている。
今はコンクリートでしっかりと灌漑されているが、親父が子供の頃は、小石入りモルタルで岸を固めただけの泥川であった。
初秋になると、海からうなぎが用水を登って来たのである。
用水に節を取った50㎝の竹を数本束にして、用水の水の中に沈めて置くと、うなぎがその竹管の中で休むのである。

父親が、竹管の両端を手で押さえて、引き上げるとうがぎが、1・2匹捕まったものである。
実家にはうなぎをさばく小型の包丁が有り、父親がそれを使って軽快にうなぎをさばく姿が記憶に残っている。
父親は、腹開きの関西風にうなぎをさばいていた。
母親がそれを蒲焼にしてくれた。
幼い頃から天然うなぎを味わっていたのである。
今考えると随分豪勢なものである。
祖父によれば、昔、昭和初期頃はもっとうなぎが居たらしい。
だから、祖父は、うなぎをさばく小型の包丁を手に入れたそうである。
親父が小学校低学年の頃まで、周りの大人は矢作川河口で白子うなぎを捕獲していた。
暗くなってから、石灰ランプの灯りに寄って来た白子うなぎを専用の網で掬っていた。
湯呑一杯分の白子うなぎで1万円であった。
一晩で当時の高卒初任給位を稼いでいたのである。
今は矢作川河口では白子うなぎは絶滅してしまった。

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農業用水の流れは海に続いている。
今はコンクリートでしっかりと灌漑されているが、親父が子供の頃は、小石入りモルタルで岸を固めただけの泥川であった。
初秋になると、海からうなぎが用水を登って来たのである。
用水に節を取った50㎝の竹を数本束にして、用水の水の中に沈めて置くと、うなぎがその竹管の中で休むのである。

父親が、竹管の両端を手で押さえて、引き上げるとうがぎが、1・2匹捕まったものである。
実家にはうなぎをさばく小型の包丁が有り、父親がそれを使って軽快にうなぎをさばく姿が記憶に残っている。
父親は、腹開きの関西風にうなぎをさばいていた。
母親がそれを蒲焼にしてくれた。
幼い頃から天然うなぎを味わっていたのである。
今考えると随分豪勢なものである。
祖父によれば、昔、昭和初期頃はもっとうなぎが居たらしい。
だから、祖父は、うなぎをさばく小型の包丁を手に入れたそうである。
親父が小学校低学年の頃まで、周りの大人は矢作川河口で白子うなぎを捕獲していた。暗くなってから、石灰ランプの灯りに寄って来た白子うなぎを専用の網で掬っていた。
湯呑一杯分の白子うなぎで1万円であった。
一晩で当時の高卒初任給位を稼いでいたのである。
今は矢作川河口では白子うなぎは絶滅してしまった。
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