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 脊髄小脳変性症に罹患していることが判り、それが長男に遺伝している事も判ったのだ。
 次男は20年程引き籠りである。

 唯一娘だけは、浜松市の勤務医と結婚して2人の孫を産んで、親父を喜ばせている。

 

 脊髄小脳変性症に罹患しているから、運動失調が起きている。
 今は、杖を突きながら自らの足で歩けるが、やがて歩行器を使わないと歩行が困難になり、車椅子を使うようになるであろう。

 その事を考えると「何で自分だけが、こんな困難にあわなくてはいけない? 何か悪い事をして因果応報がきている?。」と落ち込んでしまうのだ。

 妻を始めとした人々が、色々と慰めてくれるが、親父の気持ちは少しも晴れないのが正直なところである。




 年2回旦那寺(曹洞宗)で施餓鬼会が行われてるのだ。
 その時には、御下がりや塔婆と共に『明珠』という冊子が頂けるのである。

 冊子『明珠』の1年分が、仏壇に眠っていたが眠っていたが、全て読んでみた。
 そのうちの『令和6年秋彼岸号』に青森県清涼寺住職柿崎宏降氏が寄せた『自帰依(じきえ) みずからを依りどころとせよ』という記事に開眼したのである。



 釈迦は80歳で自らの死期を覚ったそうである。
 その時釈迦の傍に常に付き添っていた弟子のアーナンダは、師が亡くなった後何を頼りに生きれば良いのかとオロオロする。

hanamatsuri_tanjoubotoke 釈迦は彼を諭す。
 「自らを灯明とし、自らを依りどころとしなさい。
 他を依りどころとしてはならない。」
 これを『自帰依』と言う。


 ここで言う「自ら」は、自分自身の心や意志ではなく、仏法に照らされて、正しく観察された自己のことを言うそうである。

 坐禅によってこの灯明を自らの身心に感得できるそうであるが、親父は右足を複雑骨折してその金属棒が未だ体に残っていること、脊髄小脳変性症による運動失調により坐禅が組めない。
 だから、身心を正して椅子にでも腰掛ければ良いと思うが…。



 心はコントロール出来ない。

 料理のよい匂いがすれば、「早くいっぱい食べたい。」と思うし、美人な女性に会えば勝手にワクワクする。
 自分が欲しい物を他人が持っていると妬ましく思う。

 心は外からの刺激に反応により、自動ドアののように開いたり閉じたりを繰り返すのである。

 だから、死にたくなるような出来事が起これば、心は死にたいと思うようになる。
 しかしそれば心の反応で、心の一機能である。
 答えでは決してないのである。


 外でゴミが落ちているのが目に入ると、それに触りたくないと思うのが普通である。
 でも敢えて拾ってゴミ箱に捨てるべきである。

 ゴミは人としてやるべき事だと思いつつこっそりと避けているモノの比喩である。



 『自帰依』とは、自分が自分を粗末しない行ないを選べる生活である。
 坐禅は行いを自由にする。



 親父も、自らに依り生きて行きたい。















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