『雨にも負けず』の詩を創作したのは宮沢賢治だということは誰でも知っている。
小学校の国語の時間に何度も朗読させられた覚えがある。
しかし教科書には掲載されなかった部分が有る事を最近知った。
その詩の本来の全文をあげると、
雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち欲はなく決していからずいつも静かに笑っている一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きしわかりそして忘れず野原の松の林の陰の小さなかやぶきの小屋にいて東に病気の子供あれば行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩きみんなにでくのぼうと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういう者に私はなりたい南無無辺行菩薩南無上行菩薩南無多宝如来南無妙法蓮華経南無釈迦牟尼仏南無浄行菩薩南無安立行菩薩
最後の
「南無無辺行菩薩 南無上行菩薩南無多宝如来南無妙法蓮華経南無釈迦牟尼仏南無浄行菩薩南無安立行菩薩」の部分は宗教的表現なので、教科書に掲載される時は削除されえていたのだ。
宮沢 賢治(みやざわ けんじ 1896年〈明治29年〉8月27日 - 1933年〈昭和8年〉9月21日)は、仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行ったそうである。
小学生の親父少年が幾度「雨にも負けず…」と朗読しても宮沢賢治の真意を理解できなかった。
この法華経の念仏が添えられると誌に深みができた。
なるほど…
宮沢賢治は仏への帰依に務めたいたのであろう。
彼の作品は生前、詩壇の中では高く評価する者もいたが、終生文壇圏外にあって岩手県で教師・農業指導者・技師としての活動を続けていたので、一般には無名に近い存在であった。
没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となった。
それは宮沢賢治の仏に帰依した優しい心に魅せられたお陰かもしれない。
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