今日が最終日となる『金澤翔子書展』を観るために妻と浜松市中央区入野町にある臨済宗西湖山龍運寺に行った。彼女の書を観るのは今回が初めてである。
書展のパンフレットには『ダウン症の天才書家』と肩書が書かれていたが、彼女が『天才書家』と称される陰には常に母親の泰子の姿がある。
1985年6月12日に母泰子が高齢出産にあたる42歳で翔子を出産した。
翔子は新生児期に敗血症にかかり、後にダウン症と診断されたのだ。
当初はその事実を知った泰子は我が子と共に死のうとも考えたが、夫の熱心な想いと遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を見て思い留まったそうである。
書家である泰子は翔子が5歳の頃から彼女に書を教えたのである。翔子は厳しい泰子の教えに涙したそうである・
会場には10歳の時に書いた般若心経が屏風にされて飾られていたが、未だ稚拙な書であるが、母娘の魂が籠った書である。
他にも母親への手紙が屏風になって展示されていた。
翔子は師匠である母泰子の教えを素直に受け入れてることが解る。
その手紙で翔子の父で泰子の夫は26年前に亡くなっていることを知った。
泰子は以後26年間一人で翔子を書家へ導いたのである。
その成果が龍運寺禅堂に飾られている世界一大きい般若心経に現れていると思う。翔子30歳の時に書かれたが、一文字一文字に魂が籠っている。
今までこのように素晴らしい般若心経を見たことが無い。
思わず拝み般若心経を唱えてしまった。
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