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「昼は蕎麦にするね。」

妻の一言に、親父はなぜか嬉しそうな顔をした。
「やはり僕に、もっと傍(そば)に来てほしいんだね。」
年齢を重ねても、こういう勘違いだけは若い頃と変わらないらしい。
いや、むしろ年を重ねるほど都合のいい解釈をするようになるのかもしれない。
すると妻は、包丁を動かしながら振り向きもせずに言った。
「傍に来ないで! の蕎麦よ!」
その一言で、親父の淡い期待は、ざる蕎麦の湯気よりも早く消えてしまった。

もっとも、蕎麦は少し距離を置いて食べるくらいがちょうどいい。
あまり顔を近づけると、勢いよくすすった麺が跳ねて、汁がシャツに飛ぶ。
夫婦も同じで、近すぎるとぶつかることがある。
少し間があるから、長く一緒にいられるのかもしれない。
親父は少し寂しそうな顔で蕎麦をすすり、妻はそんな様子を横目で見ながら、小さく笑っていた。
昼の食卓には、蕎麦の香りと、言葉遊びと、長年連れ添った夫婦にしかわからない笑いが流れていた。
「傍」と「蕎麦」は同じ「そば」でも、その間には湯気一本分くらいの違いがあるらしい。
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