抹茶には、ちゃんとした作法がある。

 茶席では、先に和菓子をいただく。
 そして甘くなった口に抹茶を流し込む。
 すると抹茶のほろ苦さや香りが、いっそう引き立つという。
 濃茶でも薄茶でも、この順番が基本らしい。

Copilot_20260715_112343 なるほど、理にかなっている。

 しかし親父は、理にかなったことを聞くと、なぜか反対側へ歩いて行きたくなる。

 親父はまず抹茶を飲む。

 口の中が「うーむ、日本の渋味とはこういうものか」と落ち着いたところへ、和菓子を放り込む。

 すると、あんこの甘さが「お待たせしました」と遅れて登場する。

 これが実にいい。

 羊羹でも、練り切りでも、大福でも、さっきまで渋い顔をしていた舌が、急に機嫌を直すのである。

 舌にも「アメとムチ」という教育法があるのではないかと思う。

 ただし濃茶だけは話が違う。

 濃茶は、もはや飲み物というより「液体になった茶畑」である。

 あの濃厚さを先に飲んでしまったら、和菓子が「すみません、私では荷が重いです」と小さくなってしまう。

 だから濃茶の時だけは、親父も素直になる。

 和菓子をいただき、甘くなった口へ濃茶を流し込む。

 すると濃茶が堂々と主役を務める。

 薄茶では反抗し、濃茶では従う。

 親父にも一応、反抗する相手は選ぶだけの分別は残っているのである。

 結局、抹茶と和菓子の楽しみ方に正解はない。

 作法は美しい。

 だが、自分の舌が「今日はこの順番がいい」と言うなら、その声にも耳を貸してやりたい。

 親父の舌は今日も、作法と好みの間を、あんこと抹茶を行ったり来たりしているのである。













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