第330回メールde法話会が届いた。
よっぽどのご縁を頂いている皆様へ。薬師寺の大谷徹奘です。ご縁を賜り心から感謝します。拙文ですが日々の生活にお役立てくだされば幸いです。
30年を越えてお世話になっている九谷焼の陶芸家・北村隆先生が『世の中に「以心伝心」という言葉があるけれど、わしゃそんなものは無いと思っているんだ。徹奘さん、あんたはどう思う』と言われたことがあります。その時すかさず『同じ、同じ』と、語調を強くして答えたことを思い出します。
これはたまたまのこと。それも近しい人とのやり取りであって、限られた選択肢の場合を除き、他人と意見が一致するのは、よほどに稀有なることだと、しっかり覚えておかなくてはなりません。
言葉を使う法話の時でさえも、自分が伝えたいことと、相手の受け止め方が異なり、意思疎通が難しくなり、そこから違和感が生まれて話しにくくなることがあります。ですから「黙っていてもわかってほしい」などは、もっての外です。
意思疎通は難事であるとしっかり認識し、決して安易に考えてはなりません。合掌
以心伝心とは、本来は禅の教えで、言葉や文字を使わず心から心へ真理を伝えることですが、今では「言わなくても気持ちが通じ合うこと」という意味で広く使われている。
親父は思う。
「以心伝心」という言葉ほど、夫婦にとって便利で、しかも危険な言葉はない。
新婚の頃は違う。
「あ、お茶飲みたいな」
そう思った瞬間に妻がお茶を出してくれる。
「今日はカレーが食べたい」
そう思えば夕食がカレーだったりする。
親父は「おお、これぞ以心伝心!」と感動した。
ところが結婚40年も過ぎると、以心伝心は少々形を変える。
親父が冷蔵庫の前をウロウロすると、
「アイスはダメよ。」
まだ何も言っていない。
冷蔵庫も開けていない。
目線だけで見抜かれている。
これも以心伝心である。
さらに恐ろしいのは、妻が黙っている時である。「……。」
この沈黙には実に多くの意味が詰まっている。
「早く片付けなさい。」
「それ、あなたがやるの。」
「余計なことを言うな。」
親父は長年の経験から、妻の沈黙を翻訳できるようになった。
これも以心伝心である。
もっとも、親父のほうはどうかというと、
妻が黙っている理由を十回に一回くらいしか当てられない。
「怒ってる?」
「別に。」
この「別に」の二文字ほど、翻訳が難しい日本語はない。
以心伝心とは、心が伝わることではなく、相手の心を一生懸命に読み続ける努力なのかもしれない。
夫婦とは不思議なもので、言葉が少なくなるほど、心を読む力だけは鍛えられていく。
親父は今日も妻の背中を見ながら考える。
「今日は機嫌がいいのかな。」
すると妻が振り返って一言。
「考えてること、顔に書いてあるわよ。」
どうやら親父の以心伝心は、まだまだ修行が足りないらしい。
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