桑名に「歯を立てるのが大変なアイス饅頭」がある。
そんな魅力的な情報をブログ読者のyueさんから教えていただいた。
「親父さん、これはぜひ体験してください」
そう言われては行かないわけにはいかない。
妻に「桑名へアイス饅頭を買いに行こう。」と誘ったら、「桑名と言えば焼き蛤でしょう。 先ず焼き蛤を食べましょう。」と言う。
妻の意見に従い『キッチン寿』に焼き蛤を求めて入ったのである。
『夏に蛤がない理由』
桑名に来たら焼き蛤を食べる。
これはもう、名古屋に来たら味噌カツ、大阪に来たらたこ焼き、北海道に来たらジンギスカン、くらい当然のことである。
親父もそのつもりで、意気揚々とキッチン寿の暖簾をくぐった。
「焼き蛤をお願いします」
すると店の人が、申し訳なさそうに言った。
「当店は暑い夏場は蛤を出しておりません」
えっ。
桑名まで来て蛤がない。
野球場へ行ったらボールがなかった、くらいの衝撃である。
理由を聞くと、「夏場は蛤が傷みやすく、身も痩せて美味しくないからです」とのこと。
実際にお店でも七月から九月下旬ごろまで蛤料理を休止しているそうだ。
親父は、勝手に「海のものは夏が旬」と思い込んでいた。
ところが蛤の旬は春。
4月から5月にかけて、産卵前で身がぷっくり太り、一番おいしい時期らしい。
考えてみれば、人間だって夏バテする。
蛤だって「今年も暑いなあ」と砂の中でぐったりしているのかもしれない。
そんな疲れ切った蛤を無理に焼いても、本来の味ではない。
商売人なら「ありますよ」と出したくなるところを、「今は出しません」と言い切る。
これは勇気がいる。
しかし、その一言に「本当においしい時期の蛤を食べてもらいたい」という料理人の意地を感じた。
食べられなかったのは残念だったが、不思議と腹は立たなかった。
むしろ「春にまた来なさい」と蛤に宿題を出されたような気分である。
人生も蛤も、旬を待つのが一番うまいのである。
『焼き蛤を食べらなかったショックを十分補える味』
「桑名で焼き蛤が美味しい店」とGoogleったら『キッチン寿』が検索されたのである。
初めての店で、期待していた焼き蛤が食べられず、ガックリしてほぼ投げやりに親父は『刺身定食』妻は『天ぷら定食』をオーダーした。
先ず親父の『刺身定食』が配膳された。
刺身が船に乗って現れた。
突き出しの煮物も御御御付も美味い。
刺身は絶品である。
妻と違うメニューをオーダーしたのは、お互いの料理をシェアするためである。

妻は船に乗った刺身の1/2を食べた。
後に妻がオーダーした『天ぷら定食』が配膳された。
海老が3尾、茄子、大葉、海苔、白見魚の天ぷらが刺身と同じ船に乗って現れた。
親父はその天ぷらの1/2を食べたが美味い。
いずれの定食も2,420円(税込)する。
愛知県西尾市の料理店でこのヴォリュームの定食を頼んだら3,000円は下らない。
伊勢湾岸自動車道走行料金往復3,000円を出してでも味わいたい味である。
来年3月31日で親父は再雇用契約を終了するが、それを祈念してこのお店の焼き蛤を味わいたいと思う。
『新聞紙の実力』
キッチン寿から自動車で8分ほど走ると、アイス饅頭を製造販売する『寿恵広』が現れた。
店に入ると、いかにも昔ながらの和菓子屋さんという空気が流れている。
親父は持ち帰りだから発泡スチロールの箱を買おうと思った。
ところが女将さんが、
「お宅までどれくらいですか」
と聞く。
「一時間くらいです」
と答えると、女将さんはニッコリ笑って、
「新聞紙で包めば大丈夫ですよ」
と言うのである。
えっ、新聞紙?
文明の利器である発泡スチロールを新聞紙が押しのける瞬間である。
親父は、イチゴ、黒糖、抹茶を一個ずつ、それに丹波大納言小豆を二個買った。
女将さんは黄土色の紙袋に五個のアイス饅頭を入れ、その上から新聞紙を一枚、二枚、三枚、四枚。
まるで陶器でも包むような手際である。
「はい、大丈夫」
その「大丈夫」に妙な説得力があった。
親父は新聞紙にくるまれたアイス饅頭を後部座席の足元、日の当たらない影へそっと置き、一時間あまり車を走らせた。
途中で何度も、
「もう溶けているんじゃないか」
「いや、新聞紙を信じろ」
と心の中で新聞紙と対話する。
家へ帰って包みを開く。
新聞紙を一枚。
また一枚。
さらに一枚。
最後の一枚を外すと、そこには何事もなかったような顔をしたアイス饅頭が並んでいた。
しかも、カチカチではない。
かといって溶けてもいない。
絶妙の食べごろなのである。
さっそく丹波大納言小豆をかじる。
……硬い。
いや、「歯ごたえがある」という生やさしいものではない。
アイスに向かって「失礼します」と一礼してから歯を立てたくなる硬さである。
しかし、その硬い殻を突破すると、中から小豆のやさしい甘さが現れる。
この落差がたまらない。
昔の人は新聞紙で魚も野菜も包み、おにぎりまでくるんできた。
親父は「そんな時代は終わった」と思っていた。
ところが桑名では、新聞紙は今も現役だった。
新聞はニュースを運ぶだけではない。
アイス饅頭まで、絶妙の食べごろで運んでくれるのである。
新聞離れが進む時代である。
しかし、『寿恵広』の新聞紙だけは、これからも現役でいてほしいと思うのである。
『アイス饅頭の起源』
桑名市のアイス饅頭の起源は、戦後間もない昭和25年(1950年)ごろにさかのぼる。
当時の桑名では、すでにアイスキャンディー作りが盛んで、「アイスキャンディー組合」が存在していたのである。
その組合の勧めで、市内の和菓子店や製菓店およそ10軒が、大粒の小豆をミルクアイスで包んだ「アイス饅頭」を作り始めたのが始まりとされている。
桑名では75年以上にわたり、昔ながらの製法が受け継がれている。
最盛期には約10軒が製造していたが、機械の老朽化や後継者不足などにより次第に減少し、現在は数軒が伝統を守り続けている。
その一軒が『寿恵広 』なのである。

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そんな魅力的な情報をブログ読者のyueさんから教えていただいた。
「親父さん、これはぜひ体験してください」
そう言われては行かないわけにはいかない。
妻に「桑名へアイス饅頭を買いに行こう。」と誘ったら、「桑名と言えば焼き蛤でしょう。 先ず焼き蛤を食べましょう。」と言う。
妻の意見に従い『キッチン寿』に焼き蛤を求めて入ったのである。
『夏に蛤がない理由』
桑名に来たら焼き蛤を食べる。
これはもう、名古屋に来たら味噌カツ、大阪に来たらたこ焼き、北海道に来たらジンギスカン、くらい当然のことである。
親父もそのつもりで、意気揚々とキッチン寿の暖簾をくぐった。
「焼き蛤をお願いします」
すると店の人が、申し訳なさそうに言った。
「当店は暑い夏場は蛤を出しておりません」
えっ。
桑名まで来て蛤がない。
野球場へ行ったらボールがなかった、くらいの衝撃である。
理由を聞くと、「夏場は蛤が傷みやすく、身も痩せて美味しくないからです」とのこと。
実際にお店でも七月から九月下旬ごろまで蛤料理を休止しているそうだ。
親父は、勝手に「海のものは夏が旬」と思い込んでいた。
ところが蛤の旬は春。
4月から5月にかけて、産卵前で身がぷっくり太り、一番おいしい時期らしい。
考えてみれば、人間だって夏バテする。
蛤だって「今年も暑いなあ」と砂の中でぐったりしているのかもしれない。
そんな疲れ切った蛤を無理に焼いても、本来の味ではない。
商売人なら「ありますよ」と出したくなるところを、「今は出しません」と言い切る。
これは勇気がいる。
しかし、その一言に「本当においしい時期の蛤を食べてもらいたい」という料理人の意地を感じた。
食べられなかったのは残念だったが、不思議と腹は立たなかった。
むしろ「春にまた来なさい」と蛤に宿題を出されたような気分である。
人生も蛤も、旬を待つのが一番うまいのである。
『焼き蛤を食べらなかったショックを十分補える味』
「桑名で焼き蛤が美味しい店」とGoogleったら『キッチン寿』が検索されたのである。
初めての店で、期待していた焼き蛤が食べられず、ガックリしてほぼ投げやりに親父は『刺身定食』妻は『天ぷら定食』をオーダーした。
先ず親父の『刺身定食』が配膳された。刺身が船に乗って現れた。
突き出しの煮物も御御御付も美味い。
刺身は絶品である。
妻と違うメニューをオーダーしたのは、お互いの料理をシェアするためである。

妻は船に乗った刺身の1/2を食べた。
後に妻がオーダーした『天ぷら定食』が配膳された。
海老が3尾、茄子、大葉、海苔、白見魚の天ぷらが刺身と同じ船に乗って現れた。
親父はその天ぷらの1/2を食べたが美味い。
いずれの定食も2,420円(税込)する。
愛知県西尾市の料理店でこのヴォリュームの定食を頼んだら3,000円は下らない。
伊勢湾岸自動車道走行料金往復3,000円を出してでも味わいたい味である。
来年3月31日で親父は再雇用契約を終了するが、それを祈念してこのお店の焼き蛤を味わいたいと思う。
『新聞紙の実力』
キッチン寿から自動車で8分ほど走ると、アイス饅頭を製造販売する『寿恵広』が現れた。
店に入ると、いかにも昔ながらの和菓子屋さんという空気が流れている。
親父は持ち帰りだから発泡スチロールの箱を買おうと思った。
ところが女将さんが、
「お宅までどれくらいですか」
と聞く。
「一時間くらいです」
と答えると、女将さんはニッコリ笑って、
「新聞紙で包めば大丈夫ですよ」
と言うのである。
えっ、新聞紙?
文明の利器である発泡スチロールを新聞紙が押しのける瞬間である。
親父は、イチゴ、黒糖、抹茶を一個ずつ、それに丹波大納言小豆を二個買った。
女将さんは黄土色の紙袋に五個のアイス饅頭を入れ、その上から新聞紙を一枚、二枚、三枚、四枚。
まるで陶器でも包むような手際である。
「はい、大丈夫」
その「大丈夫」に妙な説得力があった。
親父は新聞紙にくるまれたアイス饅頭を後部座席の足元、日の当たらない影へそっと置き、一時間あまり車を走らせた。
途中で何度も、「もう溶けているんじゃないか」
「いや、新聞紙を信じろ」
と心の中で新聞紙と対話する。
家へ帰って包みを開く。
新聞紙を一枚。
また一枚。
さらに一枚。最後の一枚を外すと、そこには何事もなかったような顔をしたアイス饅頭が並んでいた。
しかも、カチカチではない。
かといって溶けてもいない。
絶妙の食べごろなのである。
さっそく丹波大納言小豆をかじる。
……硬い。
いや、「歯ごたえがある」という生やさしいものではない。
アイスに向かって「失礼します」と一礼してから歯を立てたくなる硬さである。
しかし、その硬い殻を突破すると、中から小豆のやさしい甘さが現れる。この落差がたまらない。
昔の人は新聞紙で魚も野菜も包み、おにぎりまでくるんできた。
親父は「そんな時代は終わった」と思っていた。
ところが桑名では、新聞紙は今も現役だった。
新聞はニュースを運ぶだけではない。
アイス饅頭まで、絶妙の食べごろで運んでくれるのである。
新聞離れが進む時代である。
しかし、『寿恵広』の新聞紙だけは、これからも現役でいてほしいと思うのである。
『アイス饅頭の起源』
桑名市のアイス饅頭の起源は、戦後間もない昭和25年(1950年)ごろにさかのぼる。
当時の桑名では、すでにアイスキャンディー作りが盛んで、「アイスキャンディー組合」が存在していたのである。
その組合の勧めで、市内の和菓子店や製菓店およそ10軒が、大粒の小豆をミルクアイスで包んだ「アイス饅頭」を作り始めたのが始まりとされている。
桑名では75年以上にわたり、昔ながらの製法が受け継がれている。
最盛期には約10軒が製造していたが、機械の老朽化や後継者不足などにより次第に減少し、現在は数軒が伝統を守り続けている。
その一軒が『寿恵広 』なのである。
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コメント
コメント一覧 (2)
次回にですね。
アイスまんじゅう
硬いですがそれを超えるとあずきで美味しいですよね。^ ^
懐かしいです。
新聞紙で包むところも、もうあまりないのではないかなと。
ずっと残って欲しいですね。
市川海老之助
が
しました
アイス饅頭は硬くて美味しかったです。
また味わいたいな。
市川海老之助
が
しました