この頃、盆踊りを見ていない。
昔は七月も終わりに近づくと、町内の空き地や小学校の校庭に櫓(やぐら)が組まれた。
赤白の幕が張られ、提灯がぶら下がり、夕方になると「ドン、ドン」という太鼓の音が風に乗って聞こえてきた。
あの太鼓の音には不思議な力があった。
家の中でゴロゴロしていた子どもは飛び出していくし、大人は「ちょっと見に行くか」と腰を上げる。
浴衣姿の人が歩いているだけで、「ああ、夏だなあ」と思えた。
ところが最近、その音を聞かない。
私が耳が遠くなったわけではない。
盆踊りそのものが少なくなったのである。
少子高齢化で踊る人も、運営する人も減った。
準備は大変だし、後片付けも一苦労。
青年団も少なくなり、昔のように地域総出で開くのが難しくなったという。
考えてみれば、盆踊りというのは妙な催しである。
普段なら、人前で踊るのは恥ずかしい。
ところが「炭坑節」が流れると、知らない人同士が同じ方向を向いて、同じ振り付けで、真面目な顔をして踊る。
誰も「私の踊りを見てください」とは思っていない。
みんな「隣の人も踊っているから」という安心感で踊っている。
あれが日本人の集団心理というものかもしれない。
親父は踊りは苦手だが、輪の外から見ているのは好きだった。
金魚すくいのポイを握りしめた子ども。
焼きそばを頬張る父親。
団扇で顔をあおぐおばあちゃん。
そして櫓の上では、汗をぬぐいながら太鼓を叩く青年。
みんなが夏の一夜だけ、同じ時間を共有していた。
盆踊りは、踊るための行事ではなく、顔を合わせるための行事だったのである。
今年の夏、どこかで太鼓の音が聞こえたら、輪の中へ入る勇気はなくても、せめて提灯の灯りを見に行こうと思う。
夏という季節は、エアコンの設定温度だけでは測れない。
盆踊りの太鼓が聞こえてこそ、「ああ、日本の夏だ」と思えるのである。

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昔は七月も終わりに近づくと、町内の空き地や小学校の校庭に櫓(やぐら)が組まれた。
赤白の幕が張られ、提灯がぶら下がり、夕方になると「ドン、ドン」という太鼓の音が風に乗って聞こえてきた。
あの太鼓の音には不思議な力があった。家の中でゴロゴロしていた子どもは飛び出していくし、大人は「ちょっと見に行くか」と腰を上げる。
浴衣姿の人が歩いているだけで、「ああ、夏だなあ」と思えた。
ところが最近、その音を聞かない。
私が耳が遠くなったわけではない。
盆踊りそのものが少なくなったのである。
少子高齢化で踊る人も、運営する人も減った。
準備は大変だし、後片付けも一苦労。
青年団も少なくなり、昔のように地域総出で開くのが難しくなったという。
考えてみれば、盆踊りというのは妙な催しである。
普段なら、人前で踊るのは恥ずかしい。
ところが「炭坑節」が流れると、知らない人同士が同じ方向を向いて、同じ振り付けで、真面目な顔をして踊る。
誰も「私の踊りを見てください」とは思っていない。
みんな「隣の人も踊っているから」という安心感で踊っている。
あれが日本人の集団心理というものかもしれない。
親父は踊りは苦手だが、輪の外から見ているのは好きだった。
金魚すくいのポイを握りしめた子ども。
焼きそばを頬張る父親。
団扇で顔をあおぐおばあちゃん。
そして櫓の上では、汗をぬぐいながら太鼓を叩く青年。
みんなが夏の一夜だけ、同じ時間を共有していた。
盆踊りは、踊るための行事ではなく、顔を合わせるための行事だったのである。
今年の夏、どこかで太鼓の音が聞こえたら、輪の中へ入る勇気はなくても、せめて提灯の灯りを見に行こうと思う。
夏という季節は、エアコンの設定温度だけでは測れない。
盆踊りの太鼓が聞こえてこそ、「ああ、日本の夏だ」と思えるのである。
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