評論家の山田五郎さんが原発不明がんで亡くなった。
67歳だったという。
「原発不明がん」という病名は、なんとも不思議な名前だ。
犯人は判っているのに住所が分からない、という感じである。
ニュースを見ながら、親父は考え込んでしまった。
実はこの頃、妻とも娘とも、あまりうまくいっていない。
家の中で口数が減ると、人間というものは余計なことまで考え始める。
批判を覚悟で言えば、親父はふと思ったのである。
「脊髄小脳変性症で、運動失調がじわじわ進み、昨日できたことが今日はできず、今年できたことが来年はできなくなる。それより、がんで一気に幕が下りるほうが楽なのではないか」
もちろん、がんが楽な病気だと言いたいわけではない。
そんなことはない。苦しい治療もあれば、激しい痛みもあるだろう。
ただ、「じわじわ」という言葉には、独特の重さがある。
昨日と今日の違いはわずかである。
しかし、その「わずか」が何年も積み重なる。
人は階段を一段ずつ下りるように年を取るのではない。
気がつけば、踊り場に立っていて、「あれ、この階段、こんなに下りたっけ」と振り返るのである。
だから病気も同じだ。
進行がゆっくりだからこそ、希望もある。
しかし、そのゆっくりさが、時には心をすり減らすこともある。
親父はそんなことを考えながら、ふと笑った。
人生とは、思いどおりにならないことばかりである。
病気も選べない。
最期も選べない。
家族の機嫌も、もっと選べない。
せめて今日一日、笑えることが一つでもあれば、それを拾い集めて生きていくしかないのだろう。
親父はそう思いながら、今日も少しふらつく足で歩き出した。
8月1日に別宅『爺の風は強く吹いている』を開設しました。
併せてお楽しみください。

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「原発不明がん」という病名は、なんとも不思議な名前だ。
犯人は判っているのに住所が分からない、という感じである。
ニュースを見ながら、親父は考え込んでしまった。
実はこの頃、妻とも娘とも、あまりうまくいっていない。
家の中で口数が減ると、人間というものは余計なことまで考え始める。
批判を覚悟で言えば、親父はふと思ったのである。「脊髄小脳変性症で、運動失調がじわじわ進み、昨日できたことが今日はできず、今年できたことが来年はできなくなる。それより、がんで一気に幕が下りるほうが楽なのではないか」
もちろん、がんが楽な病気だと言いたいわけではない。
そんなことはない。苦しい治療もあれば、激しい痛みもあるだろう。
ただ、「じわじわ」という言葉には、独特の重さがある。
昨日と今日の違いはわずかである。
しかし、その「わずか」が何年も積み重なる。
人は階段を一段ずつ下りるように年を取るのではない。
気がつけば、踊り場に立っていて、「あれ、この階段、こんなに下りたっけ」と振り返るのである。
だから病気も同じだ。
進行がゆっくりだからこそ、希望もある。
しかし、そのゆっくりさが、時には心をすり減らすこともある。
親父はそんなことを考えながら、ふと笑った。
人生とは、思いどおりにならないことばかりである。
病気も選べない。
最期も選べない。
家族の機嫌も、もっと選べない。
せめて今日一日、笑えることが一つでもあれば、それを拾い集めて生きていくしかないのだろう。
親父はそう思いながら、今日も少しふらつく足で歩き出した。
8月1日に別宅『爺の風は強く吹いている』を開設しました。
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