記者会見というのは、謝る人間だけが試される場所ではない。

 質問する側も、同じように試されている。
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 令和8年熊本震災で爆発事故が起きたイオンモール熊本について、イオン社長の記者会見を見ていて、親父はそんなことを思った。

 社長は遺族への謝罪を繰り返し、分かっている事実と、まだ分からない事実を丁寧に分けて説明していた。
 憶測では話さない。
 その姿勢は危機対応として自然だった。

 ところが一部の記者は、
 「想定外で済ませるのですか」
 「戻っていいというアナウンスはなかったのですか」
と、同じ趣旨の質問を角度を変えて何度も繰り返す。

 もちろん厳しい質問は必要である。
 記者の仕事は権力や企業を追及することだからだ。

 しかし、「まだ原因が判明していません」と何度説明されても、「では想像で答えてください」と言わんばかりの質問を重ねるのは、取材ではなく押し問答になってしまう。

 記者にはマイクが一本ある。
 ところが、その一本で穴を掘り始める人がいる。
 穴を掘って真実が出てくれば立派である。

 しかし、穴を掘ること自体が目的になってしまうと、出てくるのは土ばかりだ。

 記者会見はキャッチボールである。
 いい質問には、いい答えが返ってくる。
 ところが、相手の顔めがけてボールを投げつけても、返ってくるのはグラブではなく防具である。

 社長も試される。
 企業も試される。
 だが同時に、「この記者は何を知りたいのか」「何を国民に伝えたいのか」という、記者自身の力量も全国放送で映し出されてしまう。

 記者会見とは、答える人だけではなく、質問する人の品格や知性までも映す鏡なのだ。
 テレビの前で親爺は思った。
 質問の鋭さは、声の大きさでは決まらない。

 相手を言い負かした数でもない。
 たった一つの問いで、本質を引き出せる人こそ、本当の名記者なのである。




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