少し前までは、災害報道といえば、アナウンサーが神妙な顔をして「現場の様子です」と言えば、それだけで十分だった。
file_00000000b3fc8207ace1c0f4679eb718 ところが近頃は、空からも撮る。
 蠅のようなヘリコプターが飛ぶ。
 蚊のようなドローンも飛ぶ。

 飛べるものは、とりあえず飛ばしてみる。
 そのうち、ツバメにも小型カメラを背負わせるんじゃないか、と余計な心配までしてしまう。

 令和8年熊本震災で爆発事故が起きたイオンモール熊本。
 その救助活動の映像について、元消防士が「トリアージの現場を映すのはどうなのか」と疑問を投げかけていた。
なるほど、と思った。

 トリアージという言葉は、災害が起きるたびに耳にするが、あれは「命の順番」を決める、救急医療のもっとも重い仕事である。

 現場では、一秒でも早く判断し、一秒でも早く動かなければならない。
 そこへカメラが向く。
 視聴者は「現場の様子が分かった」と思う。

 しかし、現場にいる人にとっては、「見せる場所」ではなく、「助ける場所」なのである。

 昔、運動会で転んだ子どもを撮ろうとする親がいた。
 ところが先生は、その前に走っていって子どもを起こした。
 写真は撮れなかった。
 でも、それでいい。
 先生の仕事は写真家ではなく、先生だからである。

 災害現場も同じだろう。
 報道には「伝える」という大切な役目がある。
 被害状況を社会に知らせることも、支援を呼びかけることも重要だ。
 しかし、人命救助と競争するような報道になってしまったら、本末転倒である。
 「もっと近くを映せ。」
 「もっと生々しく。」

 そんな視聴率の誘惑は、いつの時代にもある。
 けれどけれど、人間には「見えても見ないほうがいいもの」がある。

 医師が患者のカルテを面白半分に見ないように、消防隊員が救助の最中に記念写真を撮らないように、報道にも一歩引く品格が必要なのだと思う。

 レンズは便利だ。
 ズームすれば、遠くのものまで見える。
 しかし、品格というものは、不思議なことに、一歩引いたところからしか見えてこない。

 災害は、人間の弱さをさらけ出す。
 だからこそ、それを伝える側には、人間への敬意が求められる。

 スクープより先に救命。
 映像より先に命。
 そんな当たり前の順番だけは、どんな大災害が来ても崩れてほしくないのである。


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