Audibleで萬田緑平著『棺桶まで歩こう』の朗読を聞き、「リビング・ウィル」という言葉を初めて知った。
そん時、親父は思った。
そん時、親父は思った。
「ウィル? ウイルスの親戚か?」
どうも横文字は油断ならない。
「リビング」と聞けば居間である。
「リビング・ウィル」とは、居間で書く遺言書かと思った。
「リビング」と聞けば居間である。
「リビング・ウィル」とは、居間で書く遺言書かと思った。
ところが違った。
元気なうちに、自分が人生の最終段階でどんな医療を望むかを書いておく「いのちの遺言状」のようなものだという。
たとえば「回復の見込みがなくなったら延命だけの治療は望みません」「苦しみは和らげてください」と、自分の意思を前もって残しておくのである。
日本尊厳死協会などが事前指示書として紹介している。
元気なうちに、自分が人生の最終段階でどんな医療を望むかを書いておく「いのちの遺言状」のようなものだという。
たとえば「回復の見込みがなくなったら延命だけの治療は望みません」「苦しみは和らげてください」と、自分の意思を前もって残しておくのである。
日本尊厳死協会などが事前指示書として紹介している。
いやあ、考えてしまう。
昔の人は「畳の上でぽっくり」が理想だった。
ところが今は人工呼吸器だ、胃ろうだ、点滴だと、命をつなぐ技術がずいぶん増えた。
そのおかげで助かる命もある。
一方で「自分ならどうしたい?」という宿題も増えた。
ところが今は人工呼吸器だ、胃ろうだ、点滴だと、命をつなぐ技術がずいぶん増えた。
そのおかげで助かる命もある。
一方で「自分ならどうしたい?」という宿題も増えた。
元気な今日の親父と、病院のベッドで息を切らしている未来の親父は、同じ親父でも考えが違うかもしれない。
「延命はいらん!」
と勢いよく書いた親父が、三年後には
「もう少し生きて、秋茄子を食べたい。」
と言い出すかもしれないのである。
人生というものは、案外しぶとい。
リビング・ウィルは法的な遺言書ではなく、本人の意思を家族や医療者に伝えるための文書だという。
だから、一度書いて終わりではなく、考えが変わったら書き直せばいいらしい。
だから、一度書いて終わりではなく、考えが変わったら書き直せばいいらしい。
親父は思う。
棺桶の準備より、まず今日を歩く準備だ。
歩ける日は歩き、笑える日は笑い、食べられる日は妻のご飯をおかわりする。
そして、その先に「もしも」が来たら、自分の意思を家族に話しておく。
そして、その先に「もしも」が来たら、自分の意思を家族に話しておく。
リビング・ウィルとは、「死ぬための紙」ではなく、「最後まで自分らしく生きるためのメモ」なのかもしれない。
親父はそう思いながら、今日も駅までの1.4㎞を、ヨタヨタと歩くのである。

コメント
コメント一覧 (2)
詳しくは自分でしらべましたが。
でも、勝手に延命治療されらなら…こういうのを書いておくのも良いかとおもました。
市川海老之助
が
しました
市川海老之助
が
しました