第336回メールde法話会が届いた。 


 よっぽどのご縁を頂いている皆様へ。
 薬師寺の大谷徹奘です。
 ご縁を賜り心から感謝します。
 拙文ですが日々の生活にお役立てくだされば幸いです。

 人生をはじめ、何事もまっすぐでありたいと願うのは、万人共通の願いでしょう。
 しかし、この願いとは裏腹に人生には多くの「ぶれ」が生じます。
 
copilot_image_1787901934651
 人生には縦軸と横軸があると説かれますが、「ぶれ」にも「たてぶれ」と「よこぶれ」があると考えています。
 
 「たてぶれ」とは、自分で夢や目的を決めておきながら、自分で「無理だ」と思ってしまったり、「これではなかった」と、あきらめること。

 「よこぶれ」とは、他との比較ばかりを繰り返して右往左往している内に自分を見失い、自分自身の存在が、何だか分からなくなっていること。

 この「たてぶれ」と「よこぶれ」を重ねて強調すると「私の人生ぶれぶれ」となるのです。
 
 この「ぶれ」から脱却するためには、『命が与えられるのは一回だけ。そして誰も代わってくれない。「ぶれ」ている場合じゃないぞ』と、自分に言い聞かせることです。
 その繰り返しによってぶれ幅が徐々に減少し、ぶれない自分が育つのです。
合掌


Screenshot_20260828-162706 人生は、まっすぐでありたい。
 これはたぶん、誰でも思っていることである。

 道路なら、まっすぐな道がいい。
 定規なら、まっすぐな線がいい。
 ラーメンの麺だって、あまり曲がっていないほうが、箸でつかみやすい。

 ところが人生となると、そう簡単にはいかない。

 右へ行ったり、左へ行ったり。
 前へ進んだと思ったら、後ろへ戻ったり。
 ときには、その場でぐるぐる回っていることさえある。

 そこで親父は、人生の「ぶれ」には二種類あるのではないかと思う。
 ひとつは「たてぶれ」。
 自分で「こうしよう」と決めたのに、しばらくすると、
 「いや、これは無理なんじゃないか」
と思ってしまう。

 夢を立てた本人が、その夢をいちばん先に疑ってしまうのである。
 これは実に困った話だ。

 自分で目標を立て、
 自分で歩き始め、
 自分で、「やっぱりやめよう」と言う。
 考えてみれば、たいへん合理的な失敗である。

 そしてもうひとつが「よこぶれ」。
 こちらは、他人と自分を比べてしまうことである。

 「あの人はあんなにうまくやっている」
 「同じ年なのに、あの人は元気だ」
 「あの人は金を持っている」
 「あの人はいい車に乗っている」
 「あの人は毎日楽しそうだ」

 こうして人のことばかり見ているうちに、自分がどこにいるのか分からなくなる。

 右を見る。
 左を見る。
 また右を見る。

 そのうち、自分の足元を見るのを忘れてしまう。
 これが「よこぶれ」である。
 たてにぶれて、よこにもぶれる。

 縦ぶれ、横ぶれ、縦ぶれ、横ぶれ。
 これを繰り返していると、とうとう、
 「私の人生、ぶれぶれです」
ということになる。

 ぶれぶれ。
 なんとも頼りない言葉である。

 豆腐を箸でつまんだときのようでもある。
 つまんだと思ったら、ぷるんと逃げる。
 人生も似たようなもので、自分ではしっかりつかんでいるつもりなのに、ちょっとしたことで、
 「ぷるん」と逃げていく。

 しかし、考えてみれば、人生がまったくぶれない人などいるのだろうか。
 朝は「今日はこれをやろう」と思っていたのに、昼には別のことをしている。

 「健康のために歩こう」と思っていたのに、雨が降れば休む。

 「今日は甘いものを控えよう」と決心したのに、目の前に饅頭が出てくれば、
 「これは別問題だ」
などと言い始める。


 人生というものは、案外この程度のものなのかもしれない。
 だから、「ぶれない」というのは、何があっても一ミリも動かないことではない。
 ぶれても、また戻る。

 右へ行っても、左へ行っても、
 「いや、こっちだった」と自分の場所へ戻ってくる。
 その繰り返しなのではないか。

 そこで必要なのは、何か特別な修行ではない。
 自分に言い聞かせることである。
 「命を与えられるのは一回だけだ」
 「誰も代わってくれない」

 「だから、いつまでもぶれている場合じゃないぞ」
 そう自分に言ってみる。

 そしてまた、ぶれる。
 「ああ、またぶれた」
と思ったら、もう一度言う。

 「ぶれている場合じゃないぞ」
 すると、昨日よりほんの少しだけ、ぶれ幅が小さくなる。

 一度でまっすぐにはならない。
 二度でもならない。
 百回言っても、まだぶれるかもしれない。

 それでもいい。
 人生とは、ぶれなくなることではなく、ぶれたあとに戻ってくる練習なのかもしれない。
 そして気がつけば、昨日より少しだけ、まっすぐになっている。

 人生という道は、最初から真っすぐに舗装されているわけではない。
 穴もある。
 曲がり角もある。
 坂道もある。

 ときには道そのものを見失う。
 それでも、「こっちだ」と思える方向へ、一歩ずつ進む。

 よろけてもいい。
 ふらついてもいい。

 大切なのは、倒れたことではなく、もう一度、自分の向いている方向を確かめることだ。
 人生、ぶれぶれ。
 それでもいい。

 ぶれながらでも、自分の中心を探して歩けばいい。
 そうしているうちに、少しずつ、ほんの少しずつ、
 「ぶれない自分」が育ってくる。

 人生は一回きり。
 しかも代役はきかない。
 だから今日も、自分に言っておく。

 「おい、親父。ぶれている場合じゃないぞ」
……と言った本人が、明日の朝にはまた、ぶれているのである。



 8月1日に別宅『爺の風は強く吹いている』を開設しました。
 併せてお楽しみください。




人気ブログランキング
人気ブログランキング


にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村 オヤジ日記ブログ がんばるオヤジへ
にほんブログ村


ブログランキング・にほんブログ村へ