最近、日本地図が落ち着かない。
今日は地震、明日は線状降水帯、その次は台風。テレビの天気図が、もはや天気図ではなく「日本列島危険予報図」に見えてくる。
ニュースキャスターは決まって言う。
「命を守る行動を取ってください。」
この言葉を聞くたびに、親父は少し考え込む。
命を守る行動、と言われても、その「行動」が一番難しいのである。脊髄小脳変性症という病気になってから、歩くことは「前へ進む」という単純な動作ではなくなった。
身体は右へ行きたがったり、左へ寄りたがったりする。
親父は「まっすぐ歩け」と命令しているのに、身体のほうは「あいにく今日は左折気分です」と返事をする。
避難所まで走る?
いやいや、親父は走るどころか、急ぐと身体がますます相談なしに動き始める。
そこで頭をよぎるのが、少し情けない考えである。
「誰かに手を借りなきゃいけない。」
ところが、その次にもっと重たい考えが続く。
「親父を助ける人を危険にさらしてしまうんじゃないか。」
この考えが胸にずしりと居座る。
昔は親父の役目は、人を助ける側だった。
子どもの手を引き、荷物を持ち、家族を守るつもりでいた。
それが今は、自分が手を引かれる側になる。
年を取るとは、役割が少しずつ反転していくことでもあるらしい。
しかし、ここで考え直した。
災害というものは、「助ける人」と「助けられる人」をきれいに分けてはいない。
今日は自分が支えられ、明日は別の誰かを励ますこともある。
避難所では歩けない人がいて、耳の聞こえにくい人がいて、小さな子どもがいて、それぞれが違う弱さを持ち寄っている。
だから「助けてもらうこと」は、借金ではない。
助け合いという共同出資なのである。
親父にできることもある。
早めに避難すること。
杖を手元に置くこと。
避難経路を家族と話し合っておくこと。
そして「助けてください」と遠慮せず言うこと。
実は一番難しい避難訓練は、この一言の練習なのかもしれない。
逃げるというのは、足の速さではない。
コメント