最近、日本地図が落ち着かない。

 今日は地震、明日は線状降水帯、その次は台風。テレビの天気図が、もはや天気図ではなく「日本列島危険予報図」に見えてくる。

 ニュースキャスターは決まって言う。
 「命を守る行動を取ってください。」
 この言葉を聞くたびに、親父は少し考え込む。

Copilot_20260830_080035 命を守る行動、と言われても、その「行動」が一番難しいのである。

 脊髄小脳変性症という病気になってから、歩くことは「前へ進む」という単純な動作ではなくなった。
 身体は右へ行きたがったり、左へ寄りたがったりする。
 親父は「まっすぐ歩け」と命令しているのに、身体のほうは「あいにく今日は左折気分です」と返事をする。

 避難所まで走る?
 いやいや、親父は走るどころか、急ぐと身体がますます相談なしに動き始める。
 そこで頭をよぎるのが、少し情けない考えである。

 「誰かに手を借りなきゃいけない。」
 ところが、その次にもっと重たい考えが続く。

 「親父を助ける人を危険にさらしてしまうんじゃないか。」
 この考えが胸にずしりと居座る。

 昔は親父の役目は、人を助ける側だった。
 子どもの手を引き、荷物を持ち、家族を守るつもりでいた。
 それが今は、自分が手を引かれる側になる。

 年を取るとは、役割が少しずつ反転していくことでもあるらしい。

 しかし、ここで考え直した。
 災害というものは、「助ける人」と「助けられる人」をきれいに分けてはいない。
 今日は自分が支えられ、明日は別の誰かを励ますこともある。

 避難所では歩けない人がいて、耳の聞こえにくい人がいて、小さな子どもがいて、それぞれが違う弱さを持ち寄っている。

 だから「助けてもらうこと」は、借金ではない。
 助け合いという共同出資なのである。
 親父にできることもある。

 早めに避難すること。
 杖を手元に置くこと。
 避難経路を家族と話し合っておくこと。
 そして「助けてください」と遠慮せず言うこと。

 実は一番難しい避難訓練は、この一言の練習なのかもしれない。
 逃げるというのは、足の速さではない。
 人の手を借りる勇気もまた、立派な「逃げる才能」なのである。









 8月1日に別宅『爺の風は強く吹いている』を開設しました。
 併せてお楽しみください。



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