今晩の夕飯はマクドナルドの「炙り牛すき焼き風月見」であった。
名前が長い。
最近の食べ物は肩書きが立派である。
「炙り」で一回うなずき、「牛」で期待し、「すき焼き風」で腹が鳴り、「月見」で空を見上げる。
忙しいバーガーだ。
最近の食べ物は肩書きが立派である。
「炙り」で一回うなずき、「牛」で期待し、「すき焼き風」で腹が鳴り、「月見」で空を見上げる。
忙しいバーガーだ。
これがまた妙にうまい。
マクドナルドのポテトは細くてシュッとしているが、妻のポテトは太めで、いかにも「畑で育ちました」という顔をしている。
一本一本が堂々としているのだ。
マクドナルドのポテトは細くてシュッとしているが、妻のポテトは太めで、いかにも「畑で育ちました」という顔をしている。
一本一本が堂々としているのだ。
飲み物は近所のスーパーで買ったもの。
妻が胸を張って言う。
なるほど。
わが家にはドライブスルーはないが、台所スルーがある。
注文しなくても妻が運んでくれる。
ただし、店員さんは一人なので営業時間は気分次第である。
わが家にはドライブスルーはないが、台所スルーがある。
注文しなくても妻が運んでくれる。
ただし、店員さんは一人なので営業時間は気分次第である。
そういえば数日前、ららぽーと安城のビアードパパで「月見シュー」を食べた。
「月見シュー」なのに肝心の月が欠席である。
そして今夜も雨。
窓の外は真っ黒で、やっぱり月はいない。
窓の外は真っ黒で、やっぱり月はいない。
月見バーガーを食べても月がいない。
月見シューを食べても月がいない。
月見シューを食べても月がいない。
こうなると「月見」とは、空を見る行事ではなく、食べる行事なのではないかと思えてくる。
昔は「月を見ながら団子を食べる」だった。
今は「団子やバーガーやシュークリームを食べながら、月が出ないことを確認する」である。
それでも秋になると、つい「月見」という言葉に弱い。
月が出ていなくても、食卓に月が一つあれば十分なのかもしれない。



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