水木しげるという人は、妖怪を描いて一世を風靡した漫画家である。
だから私は長いこと、「戦場でも妖怪に会った人」だと思っていた。
だから私は長いこと、「戦場でも妖怪に会った人」だと思っていた。
ところが違った。
戦場にいたのは妖怪ではなく、人間だった。
水木二等兵は21歳で南方ラバウルへ送られた。
そこは爆撃、飢え、マラリア、そして理不尽な命令が飛び交う地獄だった。
仲間は次々と死に、自身も左腕を失う。
それでも生き残った。
しかも上官には「なぜ生きて帰ってきた」と怒鳴られたというのだから、妖怪より人間のほうがよほど怖い。
そこは爆撃、飢え、マラリア、そして理不尽な命令が飛び交う地獄だった。
仲間は次々と死に、自身も左腕を失う。
それでも生き残った。
しかも上官には「なぜ生きて帰ってきた」と怒鳴られたというのだから、妖怪より人間のほうがよほど怖い。
戦争というものは、どうも理屈が逆立ちしている。
死ねば褒められ、生きれば叱られる。
こんな試験が学校にあったら全員赤点である。
それでも水木さんの本を読むと、不思議と暗くない。
椰子の木が風に揺れ、南の島の子どもと笑い合い、ご飯がおいしかった話まで出てくる。
地獄の中にも、人は笑う余裕を拾ってしまうらしい。
椰子の木が風に揺れ、南の島の子どもと笑い合い、ご飯がおいしかった話まで出てくる。
地獄の中にも、人は笑う余裕を拾ってしまうらしい。

親父は脊髄小脳変性症になってから、「身体が思うように動かない」という戦場を歩いている気がすることがある。
杖をつき、左右にふらつき、小幅でゆっくり歩く。
敵は爆弾ではない。
段差であり、階段であり、自分の身体である。
杖をつき、左右にふらつき、小幅でゆっくり歩く。
敵は爆弾ではない。
段差であり、階段であり、自分の身体である。
けれど、水木しげるは片腕を失っても漫画を描いた。
ならば親父は、ふらつきながらでもデンパークを歩き、ららぽーとを歩き、畑の草を取ればいいではないか。
戦場を生き延びた人の話は、「強くなれ」とは言わない。
「生きて帰れ」と言う。

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