今日は久しぶりに「雨が降らない曇り」である。
日の出は5時32分。
しかし親父は20分前には畑に立っていた。
首にはPanasonicのLEDネックライトをぶら下げている。
昔なら炭鉱夫か探検隊である。
今はただの草取り老人である。
しかし親父は20分前には畑に立っていた。
首にはPanasonicのLEDネックライトをぶら下げている。
昔なら炭鉱夫か探検隊である。
今はただの草取り老人である。
夜明け前の畑というものは、妙に静かだ。
静かだが、雑草だけは元気いっぱいである。
静かだが、雑草だけは元気いっぱいである。

雨という天然の栄養ドリンクを飲み続けた雑草たちは、「さあ抜いてごらん」と言わんばかりに胸を張って立っている。
そこで親父は考えた。
「全部抜くのは無理だ。」
64歳にもなると、この「無理だ」という判断が実に早い。
若い頃なら「全部やるぞ」である。
今は「優先順位」という便利な言葉を覚えた。
若い頃なら「全部やるぞ」である。
今は「優先順位」という便利な言葉を覚えた。
背の高い草だけ抜く。
芝生のような小さい草には見向きもしない。
まるで会社のリストラである。
「君は残留。」
「君は退職。」
高く伸びた者だけが引き抜かれる。
雑草社会もなかなか厳しい。
雑草社会もなかなか厳しい。
2時間20分働いて7時30分に終了。
畑を見ると、まだ三割ほど背高ノッポが残っている。
親父は畑に向かってつぶやく。
「おまえたち、明日また会おう。」
雑草との約束である。
9時から歯医者。
畑では雑草を抜き、歯医者では歯を削る。
今日は抜く日なのか削る日なのか、身体のあちこちが忙しい。
9時30分には治療終了。
この一言で車はデンパークへ向かう。
最近の親父の土曜日は、デンパークがリハビリ道場になっている。
10時半から13時半まで、たっぷり3時間。
介護予防通所リハビリのS理学療法士から教わった歩き方を思い出す。
「お腹を引っ込めて。」
「体幹を立てて。」
「歩幅は小さく。」
言葉で言うと簡単だが、実際はまるで見えない糸で頭を上から引っぱられながら歩くような感じである。
ヒョコ。
ヒョコ。
ヒョコ。
でも不思議である。
歩幅を小さくすると、身体が少し落ち着く。
転ばないためには、大股より小股。
人生もそうなのかもしれない。
大きな夢より、小さな一歩。
ヒョコヒョコ哲学である。

園内はすっかり秋になっていた。
紅い彼岸花。
白い彼岸花。
紅白で咲いていると、おめでたいのか、お彼岸なのか少々迷う。
その足元には、きのこ、きのこ、またきのこ。
雨続きで湿度が上がったせいだろう。
芝生にも木の根元にも、あっちにもこっちにも顔を出している。
これがまた実に美しい。
白い綿。
茶色い傘。
黄色い傘。
ところが調べると、たいてい毒きのこらしい。
自然というものは実に意地悪だ。


美人ほど危ない。
「食べてください」という顔をして、「食べたら大変ですよ」と待ち構えている。
親父は見るだけにした。
64歳になると、「鑑賞専門」という生き方も悪くない。
若い頃は何でも手に入れたかった。
食べたい、採りたい、持ち帰りたい。
今は違う。
眺めて、「きれいだなあ」で終われる。
それだけで十分得をした気になる。
朝は雑草を抜き、昼は歩き、午後は毒きのこを眺める。
なんとも地味な一日である。
しかし、この地味さが妙に豊かだ。
明日の朝は、残った三割の雑草が親父を待っている。
たぶん雑草のほうも相談している。
「昨日は背の高い連中がやられた。」
「今日は俺たちの番かもしれん。」
親父と雑草の戦いは終わらない。





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